ノーミソ刺激ノート

読書やスポーツ、言語に関することを書きます。※本ページにはプロモーションが含まれております。

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読書する意味は「孤独になる」こと。(孤独は楽しい)

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孤独を知らない人はダサい

読書をすると、人のことや社会のことが分かるようになるというのは一理あります。

もう一つ言うと読書するということは、

 

世界に自分にしかわからない精神の城を作る

 

ことなんです。

「1人の世界はさみしい」って感じる人が多いようです。

けど、本当にそうですかね?

 

私は自分1人の世界が無い人はダサいと思います

 

だって他の人と同じ考えって、面白くないでしょ。ダサいでしょ。

人として魅力を感じません。

ちなみに私の読書遍歴を大きく分けると

 

  • 小説
  • 哲学書

 

があった両方とも集中的に読んだ時期があるので、そのことについて書きます。

 

本を1000冊読むとどうなるか 

小説の場合

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小説ってなんで読むのかって疑問に思ってました。

言葉を覚えるとか、語彙力を鍛えるとかは中学生でもわかる説得力です。

でも、言葉が分かるっていうことの根本的なことは

 

  • 他人の気持ちを説明できる。
  • 自分の気持ちを説明できる。

 

ってこと。

気持ちを説明できると「客観的」になれます。

そうすると対策が打てるので、安心できるんです。

 

自分の気持ちくらいわかるわって思うかもしれません。

が、生きていくと何で怒っているのか、悲しいのか、感情的になってしまう理由が分からなくなる時があります。

それは物凄いストレスです。

 

読書を進んでしなくても説明できることはできるかもしれません。 

たくさん読んでいくと、それだけではない、何か大事なものを言い逃してる気がするんです。

それを探すことが出来るようになってきます。

 

人の気持ちは論理的な所では収まらないところがあるんです。

そこを少しでもくみ取る、それが言葉の力です。

 

たくさん本を読むと起こる良いこと - ノーミソ刺激ノート

 

結局、自分を含め人の気持ちが分かるという事

人は自分の人生を生きている限り、自分の気持ちしかわかりません。

学校を卒業して普通に就職すると後はそのまま定年まで働くだけです。

 

例えば、学生時代にボランティアとかアルバイトでちょっと外れた行動をすると、そこで働いている人の気持ちが分かったり、そういう職種周辺の人たちの気持ちを推測することができたりします。

 

ところがそういうことがない場合、一本のレールを通過するだけでほかの事柄に触れることは無くなってしまうんですね。

 

多趣味の人はスポーツジムに通ったり、山に登ったりカラオケに行ったりして色々な経験をすることで体感的にそれと同じ行為をした人の気持ちが分かるようになりますよね。

 

世の中には趣味を見つけたくてもできない人もいます。

そもそも忙しすぎる人もいますから本当に様々な人生の事情があります

そういう事って直接話を聞いたりしない限り気づかないんですよね。

 

特にインターネットの社会になってから本も読まないしテレビも見ないですよね。

テレビは確かに批判されるべき対象ですけど、素人の作ったものよりもいいコンテンツが充実しています。

 

いいものは本当にいいのに、それもなくされてしまうと困るんですよね。

【関連記事】

若者が批判できない理由 

 

100分de名著のテキストがよく出来てるって話 

 

村上春樹は苦手だけど内容は少しでも入れておきたい!という方へ

 

それらにはそれなりの効能があって自分に興味の幅はなかったけど何となく見ちゃったという偶然によって知ることというのがあったわけです。

が、ネットになると、自分の興味ある事に特化して見ることになります。

 

しかも有象無象が作っていることなので質も悪いものが99%です。

 

だからと言ってそれらも批判する気はありません。

今の時代ネットなんか見ないと言っているのは馬鹿らしいので見ます。

だからといってそれだけで世の中の深みが分かるかと言ったらそんなことないんですよね。

 

謂わば読書がウエイトトレーニングや本格的な運動だとしたら、ネットは散歩くらいなもんなんですよ。

読み慣れていない人、読めない人は散歩から始めればいいかもしれません。

 

でも、本当の体を動かすことというものを知るには本格的に動かないとわからないんです。

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読書と筋トレは同じ考え方でやるとうまくいく。 - ノーミソ刺激ノート

 

小説を読めばあらゆる境遇にあった人のことが書かれているので、そこへ感情移入することによって徐々に心情の幅を広げることができます

通常人の気持ちが分かるのって腹を割って話さないとできないじゃないですか。

 

私はバイトでインターネット回線の営業をやったことがありますが、精々営業トークなんて30~60分程度が限度です。

毎日それを繰り返しやるならやっと少しわかる程度ですよね。

 

小説は現代人には読み慣れていないと少々きつい気もするので、初めは漫画からスタートしてもいいと思います。

少なくともネットを見るよりもずっと良質なものが多いので。

 

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哲学書の場合

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悩みってあるじゃないですか。

だからその答えが知りたくて哲学をやったんですけど、結局何が分かったかって、

世界には解釈可能性があるということです。

 

【関連記事】

哲学書1000冊読んだらどうなるか。 

 

大学で哲学を勉強するということ 

 

要するに「こういう決まりはないんだけど、こういうこととする」という風に世界を解釈することができるという事です。

 

物理的に必然的なものはありますけど、例えば神様がいるかどうかっていう話は、そのほかの神様に関することで「神」という概念があったほうが円滑に進むからあるわけですね。

 

数学で言う「点」と「線」と同じ事です。現実に点と線はないですよね。

でも概念としてはあったほうがいいし、人間がそれを想像できるからあるわけですよ。

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哲学書を読むとあらゆる考え方が身につくので考え方の幅を膨らませることができるようになります。それを繰り返していくと自分の考え方というものが段々出来上がってきます。

 

世の中にはいろんな人がいるから

「こんなことってもうすでに誰かに考えられているだろうな」

って思うかもしれませんが。

 

人生を生きていたり、同じ読書経歴がある人なんていないので、何かに記録しておけばとんでもない財産になる可能性だってあります。

 

寧ろ何もしていない人こそ「世界に一つだけの花」なんだと信じている人が多いと思います。

圧倒的な読書量を持っていないと発表しても文章力がついていけなくて見向きもされないという事もあります

ですから一方で読書はした方がいいと思うんです。

 

ただたくさんものを知っていくと、他の人の考え方はわかっても、多くの人から理解されない領域になるという事もあります。

でもそれって誇るべきことだと思うんです。

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 この辺の本にそういうことが書かれていますね。

そういう領域っていうのは他の人にはわからないんだっていう世界です。

読書経験が浅い中では人の精神や決まりごとに支配されているわけですよ。

 

世の中の人のほとんどはそうです。

なんでかというとその方が楽ですし。

そういう風に教育されているからだと思います。

 

法律は人が考えた正義の中での決まり事ですよね。

それを別に悪く言うつもりはなくて、世界を維持するためには、世界の秩序を守るにはという考えの下、法律は整備されているんですよね。

 

本を読んでみるとその細かなことが分かるわけですよ。

ということはそれに納得することもあれば、腑に落ちないことも出てくる可能性があるんですね。

 

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